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今月のテーマ<CEFRを知る> [評価について]

ある論文を読んだことがきっかけで「CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)」について改めて知った。

すでにこの言葉が登場してから、何年も経つがそこは恥を忍んで、勉強しようと思う。

勉強のためのメモ・・・

サイト
http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2007/12/cefr.html(日向清人のビジネス英語雑記帳「CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)とは何か」)
http://benesse.jp/berd/berd2010/center_report/global10.html(ベネッセのサイト)


1)翻訳 吉島 茂, 大橋 理枝 (2004.9 ) 「外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠』」朝日出版社
2)マリア・ガブリエラ・シュミット [ほか] 編( 2010.11 )「日本と諸外国の言語教育におけるCan‐Do評価 : ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)の適用 」 朝日出版社,
3)全国日本語教師養成協議会,(2008.5 )「日本におけるこれからの言語政策を考える : CEFRと日本語教育スタンダード : 実施報告書」全国日本語教師養成協議会編集


読めるかな

CEFR(ヨーロッパ共通参照枠)とは [評価について]

数年前に初めてこの言葉を聞いた。

「ヨーロッパ共通参照枠」

そのときは「ふーん」としか思っていなかったが、評価について考えてみると、この言葉はとても大切なんだと最近知った。
(やっぱり、時代の流れについていかないと、いけませんね、どんな職業でも。「同じ」じゃだめなんです。教師も成長しなきゃ。)

でも、あんまり良く分からないので、調べてみよう。

CEFRとはCommon European Framework of Reference for Languages の略です。

(という説明は意味が無い。)

「CEFRとは」で検索すれば、とっても丁寧に説明されたサイトがあるので、それを見ることとする。

CEFRで重要なこと、というか、逆かな。これを重視するためにCEFRというものが考えられた。
それは「その人はその言葉を使って、何ができるのか」ということを「誰にでも」「分かるようにする」ということらしい。
ヨーロッパは統合したので、それぞれの言語のレベルを共通で示す必要があったということだ。
例えば、日本では英検があるけど、外国では英検なんてない。
そうすると英検1級が外国では通用しない。
まあ、一番上の級だと言えばなんとなくレベルは高いんだろうということがわかるが、具体的に「何」ができるかはわからない。
まずどこでも共通に通用する評価。
そして、具体的に何ができるかがわかる評価。
というものを作ろうとして作られたのがCEFRということだ。(合っているのかな)

これは評価される人にも評価を見る人にとっても有効なものだ。
レベルが明確に分かるからだ。しかも評価において互いのギャップを生むことは無い。
明確になっているから。

と言ってもなんか曖昧なこと書いている自分がいるから、もう少しちゃんと勉強しなおさなければだめだ。ということに気がついた。勉強することっていっぱいあるんだね。今月のテーマにしておこう。「CEFRを知る」

評価の重要性 [評価について]


なぜ「評価」が重要なのか、そしてなぜ「評価」をすることに慎重になってしまうのか。

私がつけた成績がその人の日本語の成績となる。

その成績は大学や専門学校進学の際に提出され、進学の判断の材料となる。
(そういった教育機関が日本語学校の成績をどの程度重視しているかは不明。まったく参考にしていない可能性もあり)
1つ目のポイントは評価がその人自身の日本語能力を表す数字になるということ。(ただし、その数字を見た人がどの程度、その数字を参考にするかは分からない)

2つ目のポイントはモチベーションだ。頑張ったから、「A」はもらえるだろうと思っていたのに、教師から下された評価が「C」だったら・・・?
もう頑張りたくないと思うかもしれないし、教師を信用できないと思うかもしれない。
負けず嫌いだったら、なにくそ!と思ってさらに頑張るかもしれないが。

適切な評価が下されないのはいくつかの問題が可能性としてあげられる。

<1>評価基準が無い例)主観で評価している。そのときの気分によって評価している。(教師自身は気付いていないかもしれない)
⇒評価基準を設けることが必要
 *評価基準は教師が作ってもよいが、学習者が作ることも考えられる

<2>評価基準はあるが、適切ではない例)文法項目の習得が目標のクラスの作文課題の評価基準に文章構成などが入っている。
 (指導してあれば、入れてもいいかもしれない)
⇒目標と評価は呼応させることが必要

<3>適切な評価基準があるが、教師と学習者の間にギャップがある例)文章構成を重視した作文の課題なのに、学習者が文法のミスが無ければ成績はよくなるはずだ!と考える。
⇒目標、評価基準を学習者に周知する必要がある。
 これが適切にできれば、学習者自身が不足している点、出来ている点を理解し、次の学習につなげることができる。
 


これは私が今、思いついたことなので、まだまだ評価が生む問題、その原因があるだろう。

評価はその人自身を表すものの一つになり、また、学習のモチベーションに影響したり、時には針路を示すものにもなる。

だから、評価が重要だと考える。

評価について [評価について]

「評価」というものを考えたのは日本語教師になってからだ。
今までの人生で、たくさん「評価」されてきたことはあったけど、自分が誰かを「評価」するということは無かった。
(知らず知らずのうちに、誰かを評価していることはあっても)
日本語教師1年目は評価の意味も考えずに点数をつけていたように思う。
今は、評価の意味を考えれば考えるほど、点数をつけることに慎重になってしまう。

日本語教師だけではないと思う。
評価について悩むのは。
教師なら誰でも評価をどうするか、というのは永遠の課題ではなかろうか。

教育学をしっかり学んだわけでもない、「教育」に関してはほぼ素人の私が私なりにもう少し知識を増やす必要があると感じた。

ここでは「評価」について現状を学び、以下の点を考えていきたい。
・信頼性、妥当性のある評価とは
・自己評価は信頼性がない?自己評価を成績評価に付け加えるためには
・何をどう評価するか(例:発音の評価項目)


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